2013年3月2日土曜日

池之端教室閉鎖と瞳生会設立にあたり







4年程お稽古をした上野池之端の教室が閉鎖する。
その前に2年、根津の路地裏の、近所からは三味線のお稽古の音色が聞こえ
夕暮れには豆腐屋のラッパの音が響く、東京の下町の長屋でお稽古をしていた。
当時私は松本で暮らし自分のいけ花の在り方を模索していた。

今では観光地化したこの地域には楽しい想い出が沢山詰まっている。

楽しい想い出ばかりが人生ではないが、出来る事なら楽しい憶いだけを心に秘めて、
人は生きるのが肝要だ。
 
 色は匂へど散りぬるを
  我が世誰ぞ常ならむ
 
 色鮮やかに咲く花も いつかは散りゆく定めだ
  私にしろ誰にしろ この世に永遠と呼べるものなどは無いのだから

花からは諸行無常を習う事が出来る。それは同時に変化し常に進化すると云う事が

生きる証である事を教えてくれている。

瞳生会は研究会だ。今までのお稽古花とは違い、皆それぞれのイメージを拡散する場だ。

まさにワンランクアップした、次のステップのお稽古と呼べるだろう。
全員が初伝を享受し、中伝の教程にはふさわしいお稽古の方法だ。

皆にはそれだけの技量があるから、後は日々出逢う些細いな事にでさえ、本質を見つめ

自分の心に響く美しい事を見いだす感性を、いつも大切にしなくてはいけない。

例えば、川を流れる丸太が堰の岩にかかり(上記写真)、絶妙なバランスでこの瞬間を

保っている。この丸太に意志はないが、この丸太に命を吹き込むことが出来る。
それは誰も気付かぬ些細な事の中にも美しいさを見いだし、そこに自らの意思を反映させ、
自分の自然観を構築する。その瞬間にこの丸太はひとつの作品となり一期一会の憶いを
語りかけてくれる。これが花を活ける者には欠かせない大切な感性であり、
また花から学び、自然と身に付くありがたい感性でもあるのです。

花を活けるとは新たな命を吹き込むと云う事なのです。

日々出逢うすべての事の中に学びがあります。
それを見つけると云う事なのです。花に習うとはそう云う事なのです。
                           
                      瞳生 拝



本年度 瞳生会行事予定
第1回 研究会 花器を創る
第2回 研究会 自作花器に活ける 花材/ヒマワリ
    夏頃の予定となるのでヒマワリを活けてみましょうか。如何ですか。
第3回、第4回は他流派花展見学勉強会
第5回 親睦会/納会
       以上 詳しい日程などは後日連絡致します。

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